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  • 2015.07.13 Monday

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    通信95 メンバー全員が驚いた

    • 2015.02.14 Saturday
    • 19:11


    昨年7月頃のことですが
    メンバー全員が驚いたことがありました
    それは
    メンバーのNさんのことです
    勿論、本人も驚きました
    がんの告知を受けて
    入院
    手術
    抗がん剤治療
    をしました
    手術で卵巣・子宮全てを切除した
    と、聞いていました
    本人もそう思っていました
    それが
    昨年5年目にして子宮は残していることを
    初めて知ったのです!
    全員で驚きました!
    驚いた後は大笑いです
    5年も本当のことを知らなかったのです
    笑わずにおれません(笑)

    そういえばNさんは手術前に
    「大腸もとらなあかんねん、手術の後はここに袋、付けるんやって」と
    お腹の辺りを触りながら言っていました
    でも術後にそのようになっている様子は無く私は?????でしたが
    本人はそんなことを言ったことすら覚えていない様子なので
    術後にそのことは話しませんでした

    そして昨年の驚きの事実を知った私は
    Nさんはがん告知を受けて精神的にナーバスになっているときに術前説明を聞き、
    ドクターが話す全てを自分のことだと思い込んだのだろうと思いました
    確かに術前説明でドクターはいろんな症状の話をされます
    そして万が一とか最悪の場合の話もされます
    その全てを自分のことだと思い込んだのでしょう
    そしてご主人が、悪くないなら子宮は切除しないことを
    希望したことは聞き逃したのでしょうね

    5年も本当のことを知らなかったのです
    でも告知のショックはそれほど大きいということです
    だから告知もその後のいろんな説明もなるべく家族や親しい人に
    付き添ってもらうことをおすすめします
    独りで聞くと間違えたことを思い込むかもしれません
    二人以上で聞いてできればメモもとりましょう
    独りで闘わないでたくさんの人を巻き込みましょう
    いろんな人の力を借りましょう
    病気になると人は弱くなります
    けれど自分の弱さを嘆くのではなく弱い自分を認めて大切にしましょう
    そして周囲の人のパワーをありがたく受けとりましょう
    闘病中の人の心がいつも元気で過ごせますように願っています

    それにしても私達、5年も本当のことを知らなかったのです
    なんて呑気で単純なんでしょう、笑えますね



     

    通信 94 発表

    • 2015.02.06 Friday
    • 17:08


    昨年は告知を受けた2009年から5年が過ぎた年でした
    再発することなく元気に過ごしています
    確かに再発はしていない
    けれど
    二人が新たながんの告知を受けてしまった

    甲状腺がんで昨年3月末に手術を受けた者と
    大腸がんで昨年9月に手術を受けた者

    再発ではないが
    やはりがんの告知は精神的ダメージが大きい

    二人とも5年前の闘病を乗りきった強さを持っているので
    明るく振る舞っていたが
    心の奥底で独りで抱えるショックや不安.恐れなどのマイナス面と常に葛藤している様子がうかがえた

    人生で初めてのがんの闘病を乗り越えて強くなったとしても
    「病気の告知」なんて慣れるわけがない
    元気に過ごしている残りの二人が
    どれほど言葉を探しても上滑りしてしまう
    それでも何か言葉をかけたい

    グループでたった1人、
    再発をした今は亡きMちゃんが独りで耐えて皆に笑顔で接してくれていたことは
    今更ながら彼女の強さを再認識させられる
    幸い彼女には再発友達がいたのでランチをしながら治療の話などをして
    心がゆるむ時間を持てていたようです

    再発していない私達が治療や病状の話などしても言葉の上滑りなだけだ
    同時期にがんに罹患して同時期に闘い終わったのに1人だけ再発をした
    そのショックは再発患者さんにしかわからない

    メンバーが二人、新たにがんの告知を受けたショックも同じだろう
    闘病後やっと5年の月日を無事に過ごせたと安堵したばかりなのに
    違うがんを発症したことはやはりショックを隠せない
    けれど二人とも自分の弱った心と葛藤しながら、揺るぎなくしっかりと答えを出していた

    それは「今、なにをすべきか」ということ!
    過去を振り返っても仕方がない
    見えない未来に怯えても仕方がない
    現実を受け入れて今の自分を知ること

    もっと簡単に言うなら
    「闘うしかないんだ!負けてたまるか!今度も勝利するぞ!」です
    心が気落ちと恐怖に占領されて涙のでる日もあったけれど
    弱さと強さの合間を行きつ戻りつも自分の「生きる力」を信じることを諦めなかった
    二人とも新たながんと立ち向かい手術も無事に終えて術後も無事に過ごしています
    不安で不安で不安だけのがん初心者ではなかった
    立派に闘っています
    だからこのグループは解散することができるのです
    「始まりの解散」なのです

    今回の通信を読んで驚いた人もいたと思います
    突然の発表で申し訳ありません
    けれど驚いても悲しまないでください
    どうか悲しまないでください
    そして気の毒に思わないでください
    私達が明るく笑顔で過ごしていることは事実です
    生きるということは常に学びと闘いです
    病気を患うことは
    心を学ぶことです
    人の弱さを学ぶことです
    そして自分を知ることです
    そのすべてが未来に繋がっているのです
    私達の解散は始まりです
    元気に解散して行きます
    意識しなくても一人一人がルビーです
    それは私達だけじゃなくすべての人がルビーなのです
    この「がん友会ルビー」の会名への想いの通り
    誰もが誰かのルビーなのです
    いつもいつも1人じゃない、誰かが側にいて一緒に頑張ってくれる
    そしてお互いの存在がそれぞれルビーの力を放っているのです
    解散しても1人じゃないことを忘れない
    皆に力をもらっていることに感謝をしたい

    この5年間は人生の1ページでした
    これから歩む人生でもいろんなことがあるでしょう
    けれどいつもいつも感謝の気持ちは忘れないようにしたいです
    ありがとうございました


     

    通信70 Mさん

    • 2013.06.09 Sunday
    • 19:41
     Mさんが
    6月4日に他界しました
    私達は大切な仲間を失いました
    5月中旬に病室を訪ねたのが最後でした
    その日の夕方に面会謝絶になりました
    私達が知る限りの最後まで
    自己の意志を貫いた
    強く立派な患者でした
    がんに侵されたけれどがんに負けなかった
    立派でした
    強い意志のひとつが笑顔でした
    「私は最後まで笑ってるよ〜」っと
    半朦朧としていても
    吐き続ける毎日でも
    笑顔でした
    振り返れば写真のMさんも全て笑顔です
    だから私達が思い出すMさんは笑顔ばかりです
    闘病中の苦しいときも笑顔でした
    その笑顔を少し崩して
    私が聞いた最後の言葉は
    「後、ひと月ぐらいかな〜」でした
    このひと月の間に
    私達は気持ちを立て直すことができました
    Mさんの命の灯が消えてしまう日が近いことが現実で
    それを受けとめ悲しみと葛藤しました
    Mさんは私達に覚悟する時間をくれました
    現実を受け止めて気持ちを立て直し覚悟する猶予の時間をくれました
    ありがとう
    お通夜、告別式に参列して
    彼方の岸への旅立ちをしっかりと見送れました
    ゆっくりと岸にたどり着いたら
    あちらでまた笑顔でいてくれるでしょう
    私達はMさんと過ごした日々を忘れません
    そして
    これからも私達の心の中で生き続ける
    まだまだ共に歩んでいくつもりです
    姿形はこの世に存在しないけれど
    いつもいつも一緒に歩んいきます
    Mさん、彼方の岸から私達を見て一緒に笑ってね
    いつまでも一緒ですよ!
    忘れない
    ありがとう

    Mさんが好きな向日葵のように
    いつも明るい方角を見ていたい














































    記事67 S後編

    • 2013.03.31 Sunday
    • 10:28
     
    S本人です

    とうとう私の番ですね
    この記事を書く前にAさんからみた私の闘病の日々を
    お願いして書いてもらいました
    「記事66 Sさん前篇」です

    読んでみて思いだすとなんとも奔放でわがままな闘病だったことでしょう
    人への気遣いが無く自分中心で
    同室の人にも
    友人にも
    家族にも
    看護師の方にも迷惑をかけまくりの日々

    今更聞くのが怖いのですが、病気だから仕方がない・・・・と
    皆は思っていてくれたのでしょうか

    この病で、芯のないへっぴり腰の自分が明らかになり
    再認識することになりました
    そのことが同室のAさんにはすぐにわかったのでしょう
    なので「悲劇のヒロイン」「乙女」の呼び名がついたのですね

    自分自信の嫌なところはわかってはいましたが、
    そんな姿を普段は隠しているつもりで生きています
    病気にかかる以前の私は嫌なことに真正面から向き合えませんでした
    苦手なことや嫌なことから逃げていた
    親の介護からも、子供の事も
    寒い冬の雪山からも・・・

    そんな私に絶対に絶対に逃げられない事態が起きました

    それが「がん」です

    私の身体に巣くった今までの積み重ねられたものが
    全て自分に向かっている
    誰も替わることのできない
    私自身が向き合うしかない
    「がん」との対面です

    辛い作業ですが思い出しながら書いていこうと思います





    未病

    十代のころから生理痛がひどく会社も途中帰宅することがしばしばあった
    20代で2人の子どを産んだ後
    しばらく生理痛もましにはなっていましたが30代後半頃には
    また辛くなったきた
    この頃、子宮内膜症と診断され
    生理を止める薬を飲んだり、鼻から吸引する薬などでなんとか誤魔化していた

    その後ある医師に「チョコレートのう胞」があるが、
    このまま様子を観るしかないと言われ
    数年が過ぎていった

    実はある婦人科でとても嫌な医師に出会ったので
    もういいや!っていう気持ちで放っておいたのです
    このことが私の間違いです
    (ここ数年、学会では「チョコレートのう胞」から「卵巣がん」に移行することがあるといわれている)

    また別の婦人科で「子宮がん検診」はしていたのですが、その時に卵巣エコーの検査をしていればもう少し早く見つかっていたのではないかと悔やまれる

    卵巣がんから三年程経ってから当時の医師に会いこのことを素直に話すと
    「そうやな、あの時エコー検査はしなかったからな・・」と言われました
    やはり当時医師が卵巣がんに関心さえがあればきっと検査をしていたのだろうな・・と思った

    医師との出会いとタイミングが大切だと心から思う


    病気に気づく

     2009年10月

    趣味の植物画の作品展の搬入日
    数か月くらい前からお腹が張っていて少し出血もあることを
    友人に告げると「今すぐ病院へ行き!!」
    と電話番号と診療時間を調べてくれ
    送りだしてくれた

    この友人は私の命の恩人です
    この日行かなかったらきっと手遅れだったでしょう

    その病院はとても混んでいて予約制だったのですが
    お腹が痛くなり横の病室で寝ながら順番を待っていました

    診察してすぐに
    医師は「これはがんです!」
    (卵巣のエコーの画像を観て)「顔が悪い」と
    すぐに病院を紹介しますと
    看護師さんもバタバタと周りにとても緊張が走ったのを覚えている

    医師は
    「癌って言われて「ガ〜〜〜〜〜〜ン」ってなった?でも〇〇癌でなければ、抗がん剤はよく効くので良くなります。
    髪の毛もなくなるけれど、この癌であなたが死ぬことはないよ」
    そして
    「僕が大好きな先生がいる病院があるからそこでいいかな?この先生は日頃すましてるんだけどすごく楽しいユーモアのある人なんだよなぁ」と言った

    (私はまだ卵巣がんの種類がたくさんあることを知らず
    この時〇〇癌っていうのがなんだったかはっきり思い出さないのですが)

    そうですか・・・ってぼーっとして
    待合室に戻ると顔見知りの人が座っていて
    すぐに今の状況をしゃべりその人に1万円を借りて支払った
    (この行動も後から考えたらとってもおかしいです。パニックっていますね)

    その帰り私に「すぐに病院に行き!」と後押ししてくれた友人に会い伝えた
    「私。がんだって・・・」と
    彼女は1年前に乳癌を罹っていて
    私よりも彼女が絶句していた

    そのあとどう家まで帰ったか・・・帰り道また知り合いに会い、
    子供の他愛無いことをしゃべったけれど内容はまったく覚えていない

    地元の大きめ病院で検査したあと
    私がこれからかかるそのユーモアがある先生のいる病院に結果を聞きに行った
    見た目はクールなせんせい
    (後にこの先生のチャーミングさがわかりました)

    淡々と「やはり悪性です」と

     告知

    2009年11月
    卵巣・子宮摘出手術

    手術前 家族に
    「もし何かあってもお母さんは幸せな人生やったからね」
    と伝えたような気がする

    術後の説明は夫の都合がつかず一人で聞いた
     
    生体検査の結果、やはり悪性で
    病名は
    「明細胞線がん」
    実は・・今でも進行ステージを知らない
    聞きそびれてしまっている

    リンパの転移はなし
    お腹の中に癌細胞が散らばっいる「腹膜播種」もあり
    主治医は「全部取って綺麗にしておきました」と言った

    この言葉に私は望みをかけた
    全部取ってくれてありがとうございます
    先生を信じますと
    ただこのままだと見えていない癌細胞が暴れだしてはいけないので
    抗がん剤治療をすることになる

    この告知を聞いた夜
    下血した
    先生に聞くとたぶんショックで腸から出血したのだろうから
    大丈夫だとのこと

    夫にこの事をゆうと
    「おまえ結構神経細いな」と言われちょっと腹が立つ
    わかっているよ・・・弱いんだ私

    ずいぶん後に知ったのだけれど
    「明細胞線がん」は抗がん剤が効きにくいがんだということ
    このことを知ったのは退院して半年くらいだったか本屋で読んだ
    読んだ瞬間目の前がくらくらして息が苦しくなって
    汗が出て
    その本を放り投げて家に逃げ帰った
    やっぱりものごっついメンタルが弱い


    治療開始

     
    2009年12月〜翌年5月
            
    抗がん剤治療をする

    周りの卵巣がん患者さんは
    一回投薬(4日〜5日入院)のあと三週間休薬期間がある

    私の場合は
    一週目ニ回投薬(4日〜5日入院)
    二週目一回投薬(3日〜4日入院)
    三週目一回投薬(3日〜4日入院)
    四週目のみ休薬
    この治療が6カ月(6クール)つづく

    抗がん剤投薬は全部で24回

    ある日主治医が「この治療で終わります」と言った
    私は耳を疑った
    まだ4クール目

    天にも昇る気持ちで見舞いに来ていた夫に
    「ちょっと信じられないんやけど」と伝えた

    しかし数日のち
    「やはりこのまま6クールまで治療します」と告げられた

    気持ちが萎えた

    もしかしたら他の患者さんと間違ったのか
    それとも一度は癌細胞が死んでいると思い
    でもやはり初めの予定通り6クールまですることになったのか
    今ではわからない

    パソコンの癌細胞が減っているグラフを主治医と見て説明を受けた
    この日の事は忘れられない

    白血球の数値が下がると抗がん剤治療が進まない
    何度か数値が下がり
    入院治療ができなかった
    治療自体はしたくないのに、いざ治療が遠のくと気持ちが乱れる

    血液検査でダメな時に白血球の数をあげる注射をする
    この注射をする部屋で
    思わず泣いてしまった日がある

    初めは普通に看護師さんと喋っていたのに突然ぽたぽたと涙が止まらなかった
    看護師さんは
    「今はちょっと身体を休めた方がいい時期なんですよ」と言ってくれた



    副作用
     
     投薬の副作用
      吐き気・嘔吐・手足のしびれ・脱毛・下痢・神経症

    入院前の体重から約10キロ減った

    入院するたびに体重を測る
    何キロも減っているので看護師が「まぁ大変」ってびっくり顔

    食べないので主治医は栄養点滴を増やす
    食べられる物を探す

    「いよかん」「マヨネーズ味」「酢めし(サラダ巻き)」
    「カップヌードル」「ゼリー」
    一日分の総量はごはん一杯分もない

    病院の食事はほぼ食べられない
    4日間の入院に持っていったのはいよかん三つとゼリー
    あとは友人が持ってきてくれたパンを少しづつ口にするくらい

    お腹がすいてすいて仕方がないのに食べられない

    嘔吐も自宅に帰ってからの方が強く出た
    (吐き気止めの薬は私が退院してから効き目の良い新薬が出たようだ)

    下痢も大変で、何度も何度もトイレに行く
    後半は開き直って紙パンツを買って
    入・退院のときに時々使っていた

    毎回の入・退院準備
    これはかなり体力がいった
    手を肩より上にあげたら心臓がばくばくする

    投薬が進むにつれて身体の力が入らなくなり
    鞄に入れる動作が辛くなる

    後半の副作用で一番いやだったのは神経症のような症状
     
    点滴が始まると身体の中がうずうずしてじっとしていられない
    足をずっと動かす
    それでも身体の中に何か這っているかのように・・・
    点滴を引きちぎりたくなった
    もういいでしょうと自分で終わらせたかった
    もうどうなってもいいから全てやめたかった
    何度も発狂しそうになった

    あまり周りで聞かなかった副作用なので
    人に伝わらないかもしれない

    治療中一番つらい時に自分で
    頑張れ頑張れと聴いた曲
     
    大事MANブラザーズバンドの「それが大事」
    何度も何度も聴いた



    思い

    同室のAさんは私に絵本やCDを貸してくれた
    雑誌やマンガもどんどん貸してくれた
    それに気持ちがまぎれてずいぶん心が軽くなった

    この時私に
    「病の囚われから早く這い上がってこいよ!」と
    思っていてくれたのを今更知ってもう一度感謝したい

    ありがとう
    そして数々の暴言ごめんなさい

    私はといえば己の事で精いっぱいで人の事を考える余裕がなかった
    少しでも早く帰りたいと看護師・主治医にわがままを言った
    帰りたくても帰れない人がたくさんいることにも気付こうともせず・・・
    「帰る」と言ってバタバタと帰った
    周りはきっとあきれていただろう




    父の死

    入院中父の施設(認知症で入所中)に行けなかった
    行けなかったのではなく行かなかったのだ きっと
    逃げていたのだ

    弟が時々病院に来てくれた
    確かブルームーンの日に来て
    「父の弟が入所してから初めて施設に会いに来た」と言っていたので、
    これはなにかあるかもしれないと覚悟した

    ある日母からもう食べられないので点滴だけにするか
    胃ろうを入れるか決めなくてはいけないと聞かされた

    母はもう胃ろうを断ることをすでに決めている様子だった

    私は入院中眠れず夜中夜勤の看護師に話を聞いてもらった
    泣きながら胃ろうの事を聞いた

    結局父は点滴治療のみで4月5日に亡くなった

    この時期、父と私は食べ物を口にできない苦しみを
    同じく味わっていた

    お父さんしんどかったね
    苦しかったね
    最後に会いに行けなくてごめんね


    治療終了

    2010年5月22日に治療終了・本退院

    この日で家族は私を車で家まで送ったあと
    4月5日に無くなった父の49日法事出掛けた

    家の玄関を入った途端に声をあげて泣いた
    誰もいなかったので
    「ただいま〜お帰り〜」と自分で言った


    予後、そして感謝

    今現在2013年3月
     術後3年4カ月
    今は定期健診は4カ月に一度

    退院後すぐは、この抗がん剤はいつまで効いてくれるんだろうか
    と不安が押し寄せてきた

    毎日毎日不安で仕方なかった

    友人や家族は退院できて良かったねと喜んでいるのに
    自分は入院中よりも不安だった

    そんなときAちゃんがこのルビーに誘ってくれた
    朝(6時半ごろ)のウォーキングにも寒い冬に頑張れた
    一人では絶対に前に歩けなかった

    Aちゃんはルビーとして私たちが入院していた病院で
    何かできないかと模索していた

    ある日、入院している患者さんのために何かしたい
    その手伝いをして欲しいと言われたけど
    その頃の私はまだまだ不安いっぱいで余裕がなかった
    入院病棟のある3階に行くエレベーターさえ乗る勇気がなかった
    一晩考えて「病室のあるところには今はまだ行けない」と告げた

    それからはルビーの仲間に入れてもらい、いろんな所へ連れて行ってもらってどんどん元気が出てきた
    ほんとうにありがとう

    去年の4月からブログも始め、一眼カメラも始めた
    体力をつけるためにヨガとエアロビクスも始めた

    ガンになって良かったとは思わないが
    悲しいとも思わなかった
    気づかせてくれたことがたくさんある

    Aちゃんが私に感じたように私が「悲劇のヒロイン」
    だったかどうかは自分ではわからないけれど
    長い時間どっぷりと私の中に居座った病
    それは私の一部分で大切なことを教えてくれた

    入退院の時、友人はできる限りの送り迎えをしてくれ
    声をかけ励ましてくれた

    何が食べられるかと探していろんなものを持って来てくれた
    家族は仕事帰りにバスで病院まで何度も来てくれた

    退院して、髪もつんつん伸び始めた夏の日
    友人はSMAPのコンサートに誘ってくれた
    まだまだ体力もなく心配だったけれど
    ふらふらになりながらも
    コンサート会場で元気をもらえた

    あの日、私元気になれるかもって思った


    皆、ありがとう
    これからも元気でいたい
    前をみて生きたい























    通信66 Sさん・前編

    • 2013.03.31 Sunday
    • 10:26

    Sさんの別名は「乙女S」です
    なぜって?
    たくさんの患者さんと出会いましたが
    Sさんほどの悲劇のヒロインはいませんでした
    がんの告知を受けて平常心でいられる人は少ないでしょう
    けれど
    Sさんほど、どっぷりと悲劇のヒロインに浸かっている人は珍しかった
    悲劇のヒロインから発せられる私への数々の暴言
    許しますよ
    だって貴女はまともな神経じゃなかったんですもの
    きっと告知が貴女の精神面を蝕んだのでしょうね
    見た目は平常心を装っていたけれど心は凄く凄くショックを受けていることが
    私にはバレバレでしたよ
    Sさんの普通ではない言動に目が点になることもしばしばありましたが
    病人なので全て許します
    何かSさんの気持ちが元気になれることはないかと聞き耳をたてていると
    お子さんが有名作家さんに夢中になっている様子
    そして最近その作家の絵本を読んだらしい
    !!それ、私、持ってる!子どもさんと同じ本を見たら気持ちが安らぐかも!と、ひらめいた!
    抗がん剤治療の回数が増すと字を読むことが嫌になる人もいてる
    急がねば!
    早速、外出許可をもらって家の本棚からとって来ました
    これです
    結構古い本です

    でも読書って気持ちが向かないと読めないですよね
    でもこれは絵本
    きれいな色で丁寧な画がページいっぱいに描かれています
    見るだけでもいいじゃない!無期限でお貸ししました
    病気になる前は<ボタニカルアート>を趣味としてたくさんの植物画を描いていたSさんに
    絵本は良い効果がありました
    自身のお気に入りの絵本を思い出して気持ちが少し明るくなっていました
    その他に
    たくさんの話をしました
    私はすでに抗がん剤治療を何度も経験して疲れて話すのも嫌な日もありましたが
    Sさんとの話の内容のほとんどが食べ物の話だったので
    目をつぶりながらでもなんとか話せました
    「あのお店知ってる?」
    「どこそこは安くて美味しい」
    「こんなん食べたい」
    など、ほぼ全話が食べ物の話だったので私の話す気力は持続しました
    Sさんもその頃は声が元気でしたね〜
    でも気持ちは相変わらず「乙女」だったので
    Sさんに対する私の心の声は「さっさと這い上がって来いよ!」でした
    でもそんなに簡単に這い上がれるほどがんの告知のダメージは単純ではない!
    それも理解しているので
    本人が自ら「病みの囚われ」から抜け出してくるまで気長に待つしかないと思っていました
    何か這い上がってくるきっかけになることはないかと
    Sさんと同じがんの患者会があることや
    その代表者さんのブログがあること
    それを読んで私は強い気持ちになれたことを話した
    でも
    抗がん剤治療中はパソコンを見るのも字を読むのもしんどいときがある
    気持ちが不安定になることもある
    私も経験済みなので
    気持ちが向いたら見るといいと思うよ、と謙虚に薦めておいた
    とにかく、闘病中は本人次第!自分の気持ちに素直に過ごすことが大切だと思う
    泣きたいとき
    笑いたいとき
    一人でいたいとき
    誰かにすがりたいとき
    ありのままに気持ちの通りに!
    でもそれができないときもあるよね
    助けてと言えない自分
    甘えることのできない自分
    そんな自分に苛々して気持ちが爆発
    そして自己嫌悪
    治療日に溜まりに溜まった気持ちを抱えて入院してくる
    副作用の吐き気や下痢を乗り越えながら
    気持ちのやりどころを求めてさ迷う
    看護師さんに助けてもらいながら過ごす日々があれば
    病院が嫌で嫌で「帰る帰る」と我を通す日々もあったね
    闘病中にお父さんがお亡くなりになって最期のお別れに行ったね
    「自分でも驚くほど涙が出た」と話してくれたね
    入院最初から本退院の最後まで「乙女」だったSさん
    退院したからといきなり元気になる人はいないでしょう
    どうしてもほっとけなくて
    この人を独りにしてはいけないと感じました
    だからその後も様子を伺いながら
    この「ルビー」に誘うタイミングを逃さないようにしていました
    少しづつ日常を取り戻そうとしている様子がうかがえました
    それは「強さ」です、生きようとする気持ちです
    <ボタニカルアート>にも気持ちが向くようになって笑顔が優しくなってきました
    告知ショック=「病みの囚われ」からの解放に向かっているのは明らかでした
    でも少し何かに焦っているような感じがしましたが
    それはきっと「元気になりたい」と思う気持ちですね
    体力よりも気持ちの方が先へ先へと行ってしまっていたのでしょうね
    そして今では「ルビー」はすっかり5人グループです
    新しい趣味が二つも増えて溌剌としているSさん
    この「メンバー紹介文」も本当はSさんには自分で書いてもらうつもりでしたが
    書き出しだけ私が請合いました
    やはりSさんは「乙女」なんです(笑)
    書く=確認する
    闘病を振り返ることへの恐怖心が先に来ちゃいましたね
    断片的に話すことはできるけれど
    文字にするのは意外と辛いものです
    「悲劇のヒロイン」に復活されては困ります(笑)
    そういうわけで
    私Aが「私から見たSさん」を紹介しました
    書き出しが長くなってごめんなさい
    ではここからはご本人にお任せしたいと思います
    頑張って!

    追記
    上記文にある「Sさんの暴言」は病気によるものです
    病が彼女の心をゆがめていたのです
    そして私はと言いますと
    病気に関係なく普段から暴言を吐きまくっているような人物であります
    加えて毒舌で、言った3日後ぐらいに自分の暴言に気付くマヌケな人物です
    だから上記文がちょっと毒舌的だと気付いたのは数日後です
    申し訳ありません

    Sさんの告知ショックは大きかったけれど
    彼女は一言も病気の愚痴を言いませんでした
    けれど「強さ」を持ち合わせていなかった
    そこが「乙女」な訳です
    そして、強さを持ち合わせていない=弱い
    その弱さが「ヒロイン」なる所以なのです
    「ヒロイン」の前につく「悲劇」はがんに罹患した人の全てに当てはまるでしょう
    しかし私の周囲には
    自分の病気の重さを自慢気に競いあうタイプの人が多い
    「あなたのがんより私のがんの方が大変よ」的に!
    要するに「強い」!
    悲劇ってさぁ、悲しい出来事でしょ!なのに私を含めて皆さんお強い!
    スーパー戦隊〇〇レンジャー並みに強い
    そこへ登場したSさんは非常に弱い!
    右向けと言えば右を向く
    左向けと言えば左向く
    吐き気がくるよと言えば吐き気に襲われる
    その他もろもろ
    要するに
    よろよろと弱い
    涙に枯れてはいないが暗闇でスポットライトに照らされているように見えた
    それで「悲劇のヒロイン」のイメージなわけであります
    いつもいつも泣きはらしていたりわがまま言い放題な乙女やヒロインではないのです
    先に書いた「書き出し」だけでは少し誤解を招きそうなので
    追記させていただきました
    長々と失礼いたしました
















































    通信61 Mさん

    • 2013.01.29 Tuesday
    • 21:56

    お隣のベッドに来た人は
    肩までのヘアスタイル
    毛先がくるんとカールしていて可愛らしい
    あまりに可愛いので「それ、パーマですか?」と聞いてみた
    それが初めての声かけだった
    親しくなりたいけれど
    いつもいつも話しかけるわけにはいかない
    だってここは病院で
    具合が悪くて入院してるんだもの
    でもカーテン越しに聞こえてくる
    「シャカシャカシャカシャッシャッシャッ」って音は
    どこからどう聞いても
    トランプの音
    しかも続く続く続く
    トランプが終わらない
    占い?かな?それにしてもひたすらトランプをしてる
    結局
    カーテン越しに
    「トランプですか?」と聞いてみた
    「そお!占いしてるねん」と明るい声で教えてくれた
    私は元気なら、その占いがどんなものか詳しく聞きたかったけれど
    生憎座った姿勢でテーブルのトランプを見続ける気力を失っていたので
    音の正体を暴いただけだった
    でもそれから話すことが増えていった
    Mさんの
    入院までの数ヶ月前にさかのぼってみます
    会社にお勤めで事務の仕事をしていたMさんは

    2009年2月頃
    肩こりが酷くなった
    体がすぐに疲れた
    太りだした
    (ウエストが見る見る大きくなり制服のスカートがきつくなり最後は男性作業員の制服のズボンを着用するほどになった)
    痛みなどは全くなかった

    2009年5月頃
    息苦しさがあった
    でもそれは太ったからと思っていた
    58歳、中年と呼ばれる年齢だからおなか周りが太ってくるのはあたり前で仕方がないと考えた

    2009年7月頃
    寝ることも苦しくなった
    そして眠れなくなった
    いくら太ったとは言えこれは異常だと感じた

    7月末いよいよ内科を受診
    レントゲン
    エコー
    お腹よりもう少し下辺りだから婦人科ですねと言われ
    卵巣がんの疑いがあると言われた
    そして紹介状を頂いた

    翌日 
    婦人科を受診
    このときは腹部に少しの痛みがあった

    2009年8月6日
    MRI検査

    2009年8月7日
    入院

    内科受診から1週間ほどで入院になり
    とにかくバタバタと慌しかった
    入院してからも
    検査検査で慌しかった
    CT
    レントゲン
    エコー
    胃カメラ
    検体検査
    胸水検査
    腸注検査
    *最後の腸注検査は痛いし気持ちが悪くなるしこれだけは2度としたくないと今でも強く思う

    2009年8月18日  手術

    手術は問題なく順調でした
    術後も順調に回復しているように見えたけれど
    貧血でふらふらとしていたのを覚えています
    Mちゃんはいつも笑顔が明るくて頑張り屋さんです
    気弱に落ち込むより頑張るタイプです
    術後は頑張りすぎていました
    自分でも気付いて
    「頑張りすぎはアカンなぁ、逆に人に迷惑かけてしまうなぁ」と
    周囲への気遣いを先に考えるMちゃんです
    そして
    腹部開腹手術痕が凄くきれいなことを驚くように喜んで
    「見る?見て」とズボンをビヨンと広げて見せてくれる陽気なMちゃん
    え〜と勿論そうすると
    パンツまで見えるんです
    こちらが恥ずかしかったです(笑)

    さてさていよいよ
    2009年9月1日 1回目 抗がん剤治療開始
    1回接種1週間入院・2週間休憩の治療方法
    これを6回
    誰もが治療に専念して闘病を乗り越えたいと思うでしょう
    けれどMさんは
    会社の病気休暇のシステムの期間が過ぎると
    2週間の治療休憩期間にお勤めに出ることになった
    通勤電車に揺られ
    乗り継ぎをしてお勤めを続けていました
    弱音を言わないMさんですが
    駅の階段は辛いとだけはつぶやいておられました
    でも身だしなみを整えるだけでもしんどい日もあったと思います
    朝から帰宅までずっとかつらを付けているのも窮屈だったと思います
    事務仕事のパソコン画面も疲れたでしょう
    闘病の形は人それぞれ違うと思うけれどMさんはいつも毅然としていた
    仕事の文句も愚痴も言わず
    職場の人達の思いやりや助けにいつも感謝しているMさんでした
    治療中もそうです
    Mさんの抗がん剤の副作用で他のメンバーになかったものとして
    「痛み」がありました
    この「痛み」を我慢しているときでもMさんは話しかけてきた人を快く迎えていた
    表情がこわばり目の焦点が定かでないほどの痛みを耐えている時も
    他人への思いやりを忘れないMさんだった
    そして
    6回目の治療を終え
    2010年1月13日 本退院
    自由の身となったMちゃんの表情は軽やかな笑顔に変わった
    ところが
    2010年9月
    再発
    突然のことで驚いた
    Mちゃん自身はさほど驚いた様子はなくむしろ落ち着いているようにも見えた
    そして
    「私のがんの種類は抗がん剤があまり効かないみたい、でも退院して半年は無事に過ごせたから、前と同じ抗がん剤を使えるんだって」
    とケロッとした口調で教えてくれた
    それでもこちらがどう対応していいのか戸惑っていると
    それが伝わったのかさらに
    「私が再発したのは<生きたい>と思う気持ちがないからやわ」と言い
    この世に未練はないしやりたいこともないと語った
    さらに「仕事も辞めておいてよかった、皆に迷惑かけたくないし」と気遣う
    実はMちゃんは
    初発治療のときに頑張って続けた会社を5月に退職していた
    理由はいろいろだが
    4月の移動で来た新しい上司の言葉に傷ついたことも原因の1つだ
    それは
    <職場の人に感謝しなさい>という内容だった
    しかもその言い方は
    Mちゃんが周囲の人に感謝していないかのような言い方だった
    それを話してくれたとき私はそいつに腹を立てた
    Mちゃんは腹が立つより傷ついてショックで気落ちしていた
    仕事もやめて本当に自由の身でのんびりと楽な生活が始まったのに
    再び治療の開始となった
    仕事のことを考えなくていいので治療に専念する日々だった
    そしてまたしても
    「痛い」副作用に苦しめられた
    あまりの痛さに痛み止めの座薬を使った
    痛みはなくなったが
    座薬の副作用の吐き気に苦しめられた
    結局
    吐き気に比べたら痛みの方が慣れているので2度と座薬は使わないと決めた
    そして
    2011年1月 8回目最後の治療が終わった
    再発治療を無事に乗り越えた
    皆で一安心もつかの間
    2011年2月 再々発
    これは流石にショックだ
    Mさんの放つ言葉はとげとげしくなり口調は荒くなった
    それはまるで
    <再発、再々発してない人に私の気持ちなんかわからんやろ>という意味が込められているようで
    聞いていて悲しかった
    けれど確かに他のメンバーは初発治療後に寛解状態を保てている
    だから誰も何もかける言葉がなかった
    けれど治療への不安焦り葛藤は誰もが経験済みだ
    そんな皆が信じたことはたった一つ
    Mさんの気持ちがどん底まで落ちても必ず這い上がってきてくれる
    そう信じてその時を待った
    Mさんに笑顔が戻った
    皆の緊張の糸が少し解けた
    けれど本当は
    Mさんは元気なふりをしているだけだった
    笑顔でいても気持ちはなげやりだった
    その本心を初めて語ってくれたのは気持ちの靄が晴れたから
    その靄が晴れた理由は
    それが驚くことに
    セレモニーホールのフェアに参加して気持ちがスッキリしたという
    お葬式のいろんな事を知ることで悩みが解決したという
    大胆な行動に皆はあっけにとられた
    きっかけは人それぞれ!気持ちの靄が晴れたことで
    本心から前進できるようになったことに多いに安堵した
    それでも治療は続いた
    けれど再発のときのような「生きることに執着していない」なんて言わない
    今では家族の気持ちに応えようと<生きる>ことを目指している
    まだまだ治療方法がある
    そのことを希望に自分の負けたくない気持ちを奮い立たせて過ごしている
    そして病気と上手く共存して日々を楽しむようにしている
    本来の本当のMさんの可愛らしい笑顔
    その笑顔の横に初めて会ったときのようにくるんとカールした自毛が見えるような気がする
    この先その笑顔がもしも少し曇ることがあっても
    きっとそれを晴らすことができる
    Mさんはこれからも治療が続くけれど勝利者です
    生きることに意欲を持っています
    立派に闘病に打ち勝ちました






































    通信57 Aさん

    • 2012.10.27 Saturday
    • 20:48

    「ぐるぐる巻きにされてるよ!帝王切開の処理、ぐるぐる巻きやわ!」
    これが私の最初の不正出血の原因だった
    36歳のときに不正出血が続くようになり、気になり始めた
    1年後に産後13年目にして久々に婦人科を受診した
    その時の診断が
    出産時の帝王切開手術で子宮の縫い後が
    縫うというより「ぐるぐる巻き」にされていて
    スムーズに流れ出るはずの生理の血がそこに溜まり
    生理後に「ちょびちょび」と出てくる状態だと言われた
    ついでに筋腫もたくさんあると言われた
    原因がその程度で一安心した
    でも「ぐるぐる巻き」はお医者さんも「なんやこれ!」と驚くような状態で
    私は先生の驚き方にびくついた
    でも、不正出血の原因が判明したので一安心していたが
    軽いめまいや起き上がれないほどの酷いめまいを何度か経験した
    40歳頃には不正出血の量が増えてきて
    誰が見ても異常と思えるほど
    氷をバリバリと噛み砕くように食べていた
    少しでも氷が途切れると気持ちが落ち着かなかった
    さらに、体がすぐに疲れた
    2009年3月、このころは頻繁にめまい・吐き気・呼吸困難・熱があった
    流石に自分でも異常と感じてどうにかしたかったので
    2009年3月末脳外科を受診
    極度の貧血と診断されて早急な内科受診をすすめられた
    <当時の検査結果>

    貧血の人が氷をバリバリと食べることはわりと見られる症状らしい
    とにかく原因が判明して気持ちが落ち着いた
    2009年4月下旬
    内科で鉄分注射を週に2回受けることが始まった
    注射がようやく錠剤に変わり、これできっと良くなっていくと思っていたけれど
    相変わらず不正出血は続いていた
    しかも出血の量が「ちょびちょび」どころではない
    極度の貧血になるほどだから
    毎日生理用品が必要だった
    血液検査では貧血は改善されてきたが
    とにかく体がだるかった
    何をしていてもすぐに疲労した
    それが気になり不安になった
    微熱も続いていた
    何よりも嫌だったのは臭い!
    不正出血も続いたけれど、おりものが増えた
    それが薄茶色で臭いがきつかった
    はっきり言って、臭いぐらいだった
    それが気になり嫌だった
    2009年6月4日、自転車に乗っていて下腹部に違和感を感じた
    危険を感じる出来事が起こったのは翌日
    2009年6月5日、夕方 
    さらさらの真っ赤な血が流れた!しかも止まらない!流血!
    (女性ならわかると思いますが)これは生理の血じゃない!
    直感で、自分の体がかなりやばい状態だとわかった
    流れ出る血を拭くトイレットペーパーが大量でトイレが詰まってしまった
    流血が止まらずにやばいやばいと焦ってるのに
    トイレまで詰まってしまって
    ちょっと、パニック気味になりながらも
    とりあえず流血が止まったので
    冷静にトイレのドア外に「使用禁止」と貼った
    翌日、トイレをきれいにしてからお世話になっている婦人科に行く
    予約を取っていないので1日中待つつもりで朝1番に行く
    事情を説明すると常連患者なので真っ先に診察していただけた
    かなり気持ちがびくついていたので嬉しかった
    でも、先生の「え?なんやこれ?どうなってん?」の声でさらにびくびくした
    不正出血2回目の原因は肥大筋腫
    診断は「頸管ミオーム」
    子宮の入り口辺りの頸管部の筋腫が
    拳2個ほどの大きさになっていて子宮の形が変形いていた
    今後の治療方法は
    月に1回、女性ホルモンを減らす注射をして閉経にもっていく
    注射の予定は6回だが3回で効果があるかどうか判断ができるので
    もしも改善が見られない場合は子宮摘出手術に変更する
    その場合、筋腫が尿管に癒着している可能性があるので非常に難しい手術になる
    と、聞いた
    それにしても内診台から降りたときに床を見たら血の海だった
    痛くも辛くもないけれど大量出血をしていたようで驚いた
    この頃は寒気・高熱・下腹部痛・胃痛・むかつきの症状があった
    2009年6月6日 1回目注射接種
    2009年6月17日 MRI
    2009年7月7日 2回目注射接種とMRI結果で影がありそれが気になるので子宮がん検査をする
    この影はこのときは「できもの」とよばれた
    この影がもしも肉腫なら、この大きさならすでに全身に転移して死んでいるはずだから肉腫ではないだろう、けれど筋腫と断定ができない今は「できもの」とよぶと聞いた、そしておそらくがんではないでしょうと言われていた
    2009年7月9日 先生から直接の電話があり会話する
    「ちょっと、やばいもんがみつかった、若いから進行が早いから紹介状を用意しておくから明日来てくれる」
    「はい…やばいもんですか?」
    「〇〇癌と思うわ」
    「?〇〇?え?〇〇???なんですかそれ?」
    「とりあえず明日午前中に」
    〇〇はその時、聞いた事もない言葉だったのですぐに忘れてしまいました
    とにかく「癌」と言われて
    一安心!
    体がだるくてだるくてしんどかったので
    「癌」というデカイ病名を言われて大喜びで万歳三唱したいぐらい嬉しかった
    すぐに布団で横になった
    誰にも文句を言われずに横になることができる
    安心して晴れ晴れした気持ちで横になれるなんて
    身体中の細胞と神経がフニャフニャに緩んだような気がした
    翌日まずは尿検査をした。それが陽性反応だったのでその場にいた全員で首をかしげて不思議がった。陽性反応が意味するものは「妊娠」だ。
    ありえない〜
    先生も「先月、内診したけど、なかったよ」と言われた
    皆で首をかしげたが、間違いなく陽性反応がでた
    そして聞いたこともない名のがんを告知された
    電話で聞き取りにくかった〇〇は「絨毛」
    絨毛癌と診断された
    本来この癌は、妊娠に関係する癌で33年ほど前は、妊婦の250人に1人の割合で発症していた癌です。栄養不足が原因の一つで現在でも東南アジア諸国では多い癌です。逆にアメリカなどでは患者が少ないと教えてもらいました
    けれど私は妊娠していません!
    私の場合は17年前の妊娠時の絨毛が原因と考えられた
    双子だったので絨毛も多いと言われた
    妊娠すると胎盤ができる、その胎盤は絨毛でできている
    私の聞いたうる覚えの内容は
    「古くなった絨毛は血管を通り体の外に出ていく」だが
    一緒に聞いてくれた姉のメモには
    「絨毛が胎盤で癌化して血液の中に流れ込んでしまう癌」と書かれている
    どちらもあやふやですが深く追求せずに話を進めます
    非妊婦の私の場合は
    血管のどこかにとどまっていた絨毛が血管を通って子宮内に戻ってきてがん化したと考えられた
    最初の先生にも、紹介状を持って行った病院の先生にも
    「こんなこともあるんですね〜」と、もの凄く珍しがられた
    実は私もいまだに不思議でどうにもよくわからないことが多いので「不思議がん」と思っている
    最初の頸管ミオームとは関係ない病気なので
    2つの病気を平行して治療する必要があると聞いていたが
    とにかく絨毛癌を抗がん剤でたたく治療が始まった
    そしていろんな症状の因果関係は
    熱(寒気)…癌
    吐き気・ムカつき・胃痛…悪阻(脳が反応して)
    めまい・貧血・下腹部痛…筋腫・頸管ミオーム
    さらにこのがんは胃がんの20倍の速さで進行するので
    告知時にすでに肺転移していることが多く
    私も肺転移していた
    両方の肺に小さいけれどくっきりと白いものが映っていた
    入院まではなるべく安静にして出血を最低限におさえる。出血が多くて貧血になったまま入院すると輸血しながら抗がん剤をすることになってしまうかもしれない。食事は食べたいもの・食べれるものを食べて体力を維持する。そして安静にしすぎて体力低下しないように普段の6分目程度の行動で生活することと言われていました
    2009年7月22日いよいよ入院生活が始まった
    使用する抗がん剤は5種類で
    ベプシド
    メソトレキセート
    エンドキサン
    コスメゲン
    オンコビン
    「2日間の投与」と「その1週間後に1日投与」この2回が1セットの治療方法が私の治療です
    絨毛癌は全国で治療方法が統一されているのでどこの病院に行っても私の治療はこれだと思います。治療の決め方は個人の状態によって異なります。先生が持っている分厚い本に絨毛癌患者の状態別に得点が付いていて合計得点が高いほど治療がキツイです。ちなみに私は妊娠後17年も過ぎている絨毛癌患者なのでそれだけですでに最高得点獲得です。
    とにかく
    2009年7月23日  癌を小さくするための抗がん剤治療・1セット目開始
    2009年9月24日  4セット目終了
    2009年10月13日 子宮摘出手術
    2009年10月29日 術後1回目の抗がん剤開始
    2010年4月6日   術後9セット目・ラスト治療
    2010年4月18日  本退院
    2010年9月14日  寛解
    ざっくりと書きました
    術前術後全部あわせると
    抗がん剤治療は26回・13セットです
    この回数は少ない方です
    本当なら「マーカーの数値が正常値になってから、さらに3セット」が正しい治療方法です
    けれど、平熱が人それぞれ高い人や低い人がいてるように
    正常数値はあくまで目安
    私の数値は少し高かったけれど、それが私の正常数値かもしれないので
    当時の主治医が術後9セット目で治療を止めました
    そして数値が上がらないか経過観察することになりました
    もちろん、肺転移もキレイに消えていました
    4月のラスト治療からずっと血液検査で数値を調べました
    そして治療を止めても数値が上がらないことを確認できたので9月に寛解と言われました
    あのとき、治療を止めてくれたことに本当に感謝しています
    9ヶ月に及ぶ闘病はさすがに術後6セット目あたりから気持ちがなえてしまいました
    何度治療を受けても下がらないマーカーに苛立ち焦る
    いつ終わるのか先が見えない不安感
    「治らないかもしれない」と疑心との葛藤
    笑顔が減り、なげやりな態度になった
    夏に入院して秋には退院できるかと期待して
    秋が過ぎるとクリスマスにはと希望を持ち
    年が明けると梅の咲く頃にはと望みを捨てず
    それも過ぎると桜の頃にはと考えてみるがどうせ無理だろうと気持ちの半分が諦めてしまい
    無理やりに桜の次は藤の頃、その次は菖蒲・あやめ、その次は紫陽花かな?ときれいな季節の花を考えた。まさか向日葵まではいかないだろうとフッと小さく笑うことがよくあった
    気持ちのなえた日々が続くと、「病みは闇」だと暗闇に囚われた
    夜の闇と静寂が「気持ちの闇」に拍車をかけた
    起床時間と同時にカーテンを開けて部屋に明かりを取り入れたり明かりのある場所に出かけた
    そして完全に「闇」に落ちなかったのは
    入院前から書いていたブログを入院中も毎日のように続けていたからかもしれない
    それを読んでくれる友人や家族がいる
    読んでくれていると思うだけで励まされた
    ありがたい
    そこにはできるだけ明るい内容を書いた
    だから毎日、明るいこと楽しいことを少しでも発見しようと頑張った
    そのためには周りを見ること聞くこと誰かと話すこと声をだすことを意識した
    そんな日々を過ごしているある日
    同室に新しい入院患者さんが来た
    恐る恐る入室してきたその人と目が合ったので笑顔で挨拶をした
    その挨拶がその人を勇気付けたようだった
    脱毛ではげつるりんの頭の私を見て
    「<散々辛い治療をしてきたに違いない、それなのに明るい笑顔!私も頑張ろう!>と勇気をもらえた、ありがとうありがとう」とこちらが照れくさくなるほど何度も何度も言ってくれた
    じつはあの挨拶をしたときはまだ闇の中を模索中で笑顔が少しひきつっていた。だから諸手挙げて礼を言われて心中困た、けれど嬉しかった
    人は人に癒される
    病人は病人に癒される
    その後、いつまでも闇に囚われている自分に苛々した。活力を求めるように動作の一つ一つを大きく快活にした。呼吸も深呼吸に、歩き方もスタスタと、声もハッキリと、指の先まで力強く!
    なんとか闇の囚われから脱出することができた。病は気から。
    長い入院生活を経験したけれど
    今では「人生最大の休暇だった」と笑って言える
    貴重な経験に感謝している
    関わってくれた全ての人に感謝している
    癌になって学べたことが多く、自分の中の何かが変わったと感じる
    闘病中の1番の望みは「普通の生活」をすることだった
    それが叶った今、生かされていることを忘れずに普通に過ごせる「あたり前の生活」を大切に過ごしたいと思う
    これからの時代はがんに罹患する人が増えるかもしれない
    けれど、諦めずに自分の中の生きる力を信じて闘ってほしいと思う
    そして早く「一人じゃない」ことに気付いてほしい
    全てのがん患者さんが笑顔を忘れないで過ごしてほしいと願う
































    通信51 Nさん

    • 2012.09.01 Saturday
    • 21:16

    「糞詰まりやな!」これが始まりの台詞だった
    Nさんは
    2009年3月頃
    お腹の張りに異常を感じて内科を受診した
    診察台で横になると
    お医者さんは
    お腹を上からぎゅうぎゅうと押さえつけながら
    「糞詰まりやな!」と言った
    確かに便秘気味だった
    それに会社の健診でメタボと言われていたので
    お腹周りが大きいのはあたり前かな?
    しかも、痛くも苦しくもない
    だから「ふんづまり」を信じて
    便秘薬を飲み
    お腹のマッサージ
    もして
    健康体操に励み
    たまには縄跳びなんかもしたりして
    全て便秘解消の為の行動のはずが
    便秘は相変わらずで
    逆に
    お腹がますます張ってくるし腹部左下が痛んだ
    6月
    になり、職場の人に
    「そのお腹は便秘とちゃうよ、もお1回病院に行き」と言われて
    再度受診
    その時のお腹はまるで臨月の妊婦さんのようになっていた
    3ヶ月前とは違う内科に行く
    そして初めて腹部エコーを受けた
    そのモニターに映し出された腹部は全体が真っ黒で医師も驚いていた
    肝硬変かと疑われたが
    もっと詳しくMRIを撮ることになる
    MRIの結果を「ご主人と聞きに来て下さい」と連絡があり2人で向かう
    そして
    卵巣がんを告知された
    2009年7月21日入院
    2009年7月22日手術
    手術も術後も順調だったのでそれよりも
    入院中にお誕生日を迎えたことの方が印象的です
    今年も一ヶ月ほど前に無事にお誕生日を迎えることができて喜んでいるNさんの抗がん剤治療も順調でしたが
    1回目の治療が始まる迄は、同室の患者さんに説明している医師の話を
    耳をダンボにして聞き耳を立ててメモしたり、とても警戒していた
    けれど
    治療も薬も副作用も人それぞれ違うことを知り
    「嫌な事、不安なこと、痛いとき、なんでも先生に言うたらいいんやね」と
    人生で初めて経験する治療を
    精神的に受け入れることができてからは、そわそわすることは無くなった
    さてさてNさんは
    治療の翌日から数日間は
    顔が真っ赤になり火照ってしまう
    Nさんはお酒(アルコール)に弱くないけれど、飲むと顔が真っ赤になり火照るそうです
    抗がん剤治療後はまさにお酒を飲んだ後と同じ状態になった
    この副作用には驚いた
    他にもアルコール副作用が出た人が数人いましたがその話はまた改めてしますね
    便秘説から始まったNさんは
    結局、入院中も便秘に悩まされていましたが
    6回目の抗がん剤治療を無事に終えて
    2009年11月21日本退院できました
    2年ほど自宅療養をして
    今ではすっかり職場復帰しています
    がんに罹患する前のように在住市内を原付バイクで駆け巡ってすっかり自由の身!
    でもNさんは「世間の不確かな情報」に耳をダンボにしてしまい
    たまにちょこちょこと怖がっているようです
    それは仕方がない事ですが
    そんなときこそ、大きく深呼吸をして背中を伸ばして上を見ましょう
    空を見上げて、今自分は元気なんだと思い出しましょうね
    見えない未来に怯えないようにしましょう
    闘病を乗り越えた自分の力を誉めて
    今の自由な日々に感謝して過ごしましょう
    「ふんづまり」は笑うに笑えない、忘れられないエピソードですね



    通信50 Sさん

    • 2012.07.21 Saturday
    • 20:36

    ルビー通信の50話目を記念(?)してメンバーの話を綴りたいと思います。通信47に書いたように、メンバー5人とも自分の病気の話を言えるほど心身ともに元気になりました。ここに書くことで誰かの参考になれば嬉しいです。
    トップバッターは、入院順で

    59歳で子宮体癌に罹患した
    Sさん

    癌を患うよりかなり以前から内科と婦人科に通院していました
    婦人科では
    筋腫があるけれど問題は無いと言われていました
    内膜症も言われていました
    ポリープもあり
    これは切除していました
    ポリープはできるたびに切除していました
    そのために検診は3ヶ月ごとでした
    勿論、がん検診もきちんと受けていました
    がん検診ではいつも問題はありませんでした
    検診も3ヶ月ごとから半年ごとになり落ち着いてきたと思っていました
    ところがある日
    不正出血がありました
    けれど
    更年期障害の時期と重なっていたので
    閉経しきれていないからだろうと自己判断していました
    以前から更年期障害の薬として婦人科からはホルモン剤を処方されていたので飲んでいました
    次の検査結果で「ちょっとあやしいものがみつかった」と言われ
    再検査を受けました
    その結果<初期>と告げられ
    2週間の入院生活が始まりました
    子宮摘出
    卵巣摘出
    リンパ節部分切除
    の手術を受けました
    そして、いよいよ明日は退院日と喜んでいた矢先に
    「初期ではなく2期なので抗がん剤治療が必要」と告げられました
    これは予期せぬいきなりのことで
    精神的にかなりショックを受けました
    Sさんは罹患する数年前にご主人を癌で亡くされており、抗がん剤の闘病を目の当りにしてきました。それを思い出してしまい、このときの気落ちは今現在でも言葉にできないほどの大きな打撃だったのです。
    癌の告知を受けた時よりも「抗がん剤治療が必要な事実」を告げられたときの方がショックが大きかったのです。
    その後
    6回の抗がん剤治療を受け2009年11月22日 本退院
    ご主人の闘病を支えた経験があるので
    Sさんは初めからずっと個室に入っていました。
    他人に気を使わずにすむし気を使われずにすむので個室を選んでいました
    でも開腹手術の術後は
    体を動かすことが不自由になるので一人きりで困ったこともあったと話してくれました
    起き上がる動作が困難になるため、床に落としたものを拾うのに難儀したようです
    そういうことも今では大笑いで話してくれます
    それでも、
    「3ヶ月や半年の検診には行っていたのにもう少し早く見つかっていれば、抗がん剤をしなくてすんだのに…」と悔しそうです
    それほど抗がん剤治療が辛くきついものだったんですね
    本退院後はホルモン薬を服用しながら順調に寛解状態を保っています
    けれど、先月
    <橋本病>新たに告げられました
    幸い、薬の処方も無く、経過観察といわれています。
    実は退院後の生活で
    疲れやすい
    声枯れ
    むくみ
    たるみ
    体のだるさ
    いつも通りの食事なのに太る
    等々
    の症状があり悩まれていました。
    もしかして…癌の転移?とかいろいろよからぬことを考えてしまいました
    でも、これらの症状は橋本病によるものだったんですね
    橋本病と告げられて逆に一安心です
    勿論、橋本病を油断してはいけない
    けれど原因がわかったことを喜びたいです
    これからも病気と共にそれでも気持ちは前を向いていきましょう。
    癌を患ったけれど
    「入院中に同じように闘病している人達と
    お互いに支え合い励ましあえた
    それが忘れられない、むしろ喜びと感じている
    出会えた人達とは今も交流が続いている
    本当に有り難いと思う。」
    と語ってくれたSさんは

    最近とても笑顔が増えて本来の社交性を取り戻し
    夏の暑さに負けないぐらいの輝いた日々を過ごしています
    これからも共に笑いあいましょうね

    次回はNさんの話を書きます












    5人です

    • 2011.02.20 Sunday
    • 19:57

    入院順にメンバーを紹介します

    名    告知時年齢    入院日            病名
    Sさん   59歳       2009.7.17     子宮体癌

    Nさん   60歳       2009.7.20     卵巣癌

    Aさん   41歳       2009.7.21     非妊娠性絨毛癌
     
    Mさん   58歳       2009.8.7      卵巣癌

    Sさん   45歳       2009.11.17     卵巣癌

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